天中殺とは。特に影響が大きいのは大運天中殺と年運天中殺

天中殺とは、空間と時間が不完全で不自然な融合をしているときのことです。不完全になるため、天中殺のときに始めたことは全うできないと言われています。

天中殺には以下のような種類があります。それぞれ影響を受ける期間が違い、期間の長い大運天中殺と年運天中殺は注意が必要です。

大運天中殺(20年間)

年運天中殺(1年間)

月運天中殺(1ヶ月)

日運天中殺(1日)

大運天中殺、年運天中殺、月運天中殺、日運天中殺の調べ方

天中殺のうち、20年間ともっとも影響期間の長い「大運天中殺」は、無料宿命算出を行うとわかります。以下のように「陰占宿命」が出るので、赤い□で囲ってある干支を確認してみてください。例の場合は「戌(いぬ)亥(い)」です。

そして、同じく無料宿命算出では以下のような大運を示した図も確認できます。このうち、大運の項目で「戌」と「亥」になる年齢を確認します。この例では、73歳に「亥」83歳に「戌」が出てくるので、73歳から92歳までの20年間が大運天中殺です。

天中殺_2308

また、年運天中殺は干支で戌年と亥年にあたる年が該当します。年は西暦ではなく旧暦でみるため、戌年の立春の日から2年間が年運天中殺です。月運、日運天中殺はそれぞれ戌と亥の月、戌と亥の日が該当します。

親が天中殺の時期に生まれた子供は、結果的に親の跡を継げなくなる

人によって天中殺になる年齢は違います。例えば、事件の容疑者となった市川猿之助さんは、17歳から36歳までの20年間が大運天中殺でした。しかし、大運天中殺で猿之助を襲名し、澤瀉屋(おもだかや)を継いでしまったのです。そのため、猿之助の名跡も澤瀉屋も不完全な終わり方をしました。

もちろん、今回の事件のような終わり方になる理由は大運天中殺だけではありませんが、不完全な終わり方になることは猿之助を襲名したときから決まってしまったようなものです。

しかも、猿之助さんのおじにあたる先代の猿之助(現在の猿翁)も21歳からの20年間が大運天中殺であり、その間に猿之助を継いでいました。さらに先代の猿之助は大変な成功を収めました。そのひずみが次の代の猿之助にまとめて出たために、悲劇が起きてしまったとも考えられます。

また、天中殺で始めたことは不完全になるため、親のが天中殺の時期に生まれた子供が親の跡をついだ場合は不完全な形で終わります。

例えば、岸田首相の長男は首相秘書官を務めていましたが、不祥事を起こして辞任しました。実は、長男が生まれた時期は、首相とその妻どちらも大運天中殺の時期でした。

両親が大運天中殺の時期に生まれたなら、なおさら跡を継ぐことができません。首相秘書官は首相を補佐する仕事なので、実質的には跡継ぎのような仕事と言えるからです。

他の例としては、團十郎さんと小林麻央さんの一家です。小林麻央さんは年運天中殺のときに結婚して長女を出産しています。そして、長男が生まれたときは團十郎さんが年運天中殺でした。このように結婚と出産に天中殺が重なっているため、4人家族を全うすることが難しくなります。

親が天中殺のときに生まれた子どもは結果的に跡を継げないことが多いのですが、歌舞伎一家である團十郎さんの長男は生まれたときから跡継ぎとして育てられています。

しかし、この一家の場合は麻央さんが早くに亡くなったことで家族の災いを持って行ってくれ、家族が守られたともいえるのです。そのため、長男は跡を継げるのではないかと思います。

親が天中殺のときに生まれた場合でも、一般的な会社員の家庭であれば親の仕事を継ぐことが少ないため、天中殺の影響を受けにくいです。

天中殺は影響を受ける時期が長いため、まずはご自身の天中殺の時期を知っておきましょう。不完全な時期となる天中殺の過ごし方については、「天中殺の過ごし方」の記事でくわしく説明していますので確認してみてください。

この記事の監修者

朱学院校長佐藤直樹

東京・上野に生まれる
早稲田大学高等学院、早稲田大学商学部卒業
10代より算命学を始め、奥義を習得、さらなる算命学の発展を目指す。